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学習塾の歴史


学習塾の歴史は、古く平安時代にさかのぼると言われている。もちろん平安時代は貴族文化の時代だったので、塾に通えるのは貴族階級の子息に限られていた。庶民のための教育機関もあったようだが、どれほどの人間が通っていたかは不明である。平安時代の塾に関する資料はほとんどないが、この時代は貴族としての教養、知識が重視された時代。特に和歌などの素養があるかどうかは重視されていたので、おそらくそのようなことを学んだのではないかと推測される。定かではないが。戦乱の世では、当然教育は軽視される。鎌倉時代以降は武士の時代。当然必要とされた素養は、貴族文化の平安時代とは異なっている。学習塾が隆盛を極めたのは、江戸時代に入ってからのことだ。
江戸時代は、日本史上でもっとも平穏な時代だった。ゆえに文化の向上だけでなく学問を探求するだけの余裕のある時代でもあったのだ。江戸時代は数多くの学者を輩出した。有名なところでは、吉田松陰、杉田玄白、大塩平八郎、伊東玄朴、勝海舟、佐久間象山、福沢諭吉、小野蘭山、緒方洪庵、外国人であるがシーボルトなど。数え上げたらキリがないくらいだ。それらの学者は、それぞれに私塾を開校していた。その私塾からさらに著名な学者や時代を動かす人間が排出されたことからも、私塾のレベルの高さはうかがい知ることができる。
有名な松下村塾を例に挙げると、高杉晋作をはじめとする国を動かした人物、後に国を治める伊東博文、山縣有朋ら多数の人物を輩出した。
シーボルトの鳴滝塾は、伊東玄朴、高野長英など。現在の大阪大学、慶応義塾大学につながるといわれている緒方洪庵の適塾の塾頭には福沢諭吉の名前が記されている。最後に、もうひとつだけ挙げておく。佐久間象山の開いた私塾・象山書院からも、幕末の多大な影響を及ぼした人物を多数輩出している。
それら私塾のほかに、庶民が通った寺子屋や幕府が設置した教育機関もあった。
江戸時代の教育は世界最高峰だったとも言われており、識字率においては世界のトップクラスだったという。
明治時代にも塾の隆盛を極めていたといわれている。主に士族の子息が通った。明治維新後の富国強兵の時代。欧米の列強に並ぼうとして時代であっただけに、その勉強も熾烈を極めたという。もちろん、教育制度が大きく変わり近代化したことも見逃せないだろう。
戦後の学習塾は、1960年代以降に急激に伸びていったと言われている。いわゆる受験戦争が始まったころと時を同じくしている。1960年代と言えば、いわゆる団塊の世代の時代だ。その理由はいわずもがなだろう。その流れが現代まで続いているのである。日本において、塾という存在は常にあり続けたものだった。
特に江戸時代は、私塾の存在はもちろん、寺子屋の存在で武士だけでなく庶民が読み書きそろばんが出来るという、世界でもまれにみる教育大国であったのだ。